こんにちは。
自考力発掘コーチ 岡井です。
みなさんは自分で考えることができないことに悩んだことはありますか?
もしくは、自分で考えることができないことを他者から指摘されたことはありますか?
わたしはどちらもあります。
特に後者の方がきっかけで、さらに前者について悩んだパターンでした。
では、なぜ自分で考えることができなくなるのでしょうか?
そのヒントは、自分で考えていないという状態で起きている思考パターンにあります。
逆を言えば、その思考パターンさえ自分で認識できれば、変えることができます。
そこで今回は、
どのようにしたら、自分で考えることができるようになるのか?
について整理していきたいと思います。
どのようにしたら、自分で考えることができるようになるのか?
そもそもなぜ「自分で考える」ということにフォーカスしたのか?
今回のテーマについて整理する前に、
そもそもなぜ「自分で考える」ということにフォーカスしたのか?
についてまずはシェアします。
昨年11月に新しい活動をスタート。
先月末にセミナーは「違和感」をテーマにして、
人生を切り拓く自考力セミナー
を初開催しました。
実は、この「違和感」をテーマにすることになったきっかけ。
そして、そもそもなぜ自考力をわたし自身がフォーカスするようになったのか?
そのきっかけの一つとなった記事があります。
それが、元日本女子バレーボール代表の古賀紗理那さんのインタビュー記事でした。
その中でわたしが引っかかったのが、下記引用文冒頭です。
「“考えて動ける”選手が圧倒的に少ない。それは選手個々の問題でもあるけれど、これまでの環境も大きいと思っていて。私も含めて、ほとんどの女子選手は小学生、中学、高校、ずっと言われたことをやるだけ、指示を待って動くのが当たり前だった。だから自分で動いたり、考えたりできないし、できる土壌がない。だから、正直に言えば、日本人選手を相手にして戦うVリーグはすごく楽でした」
“考えて動ける”選手が圧倒的に少ないということに、まずは驚いた。
→むしろプロ選手だからこそ、考えて動けるものではないかと思い込んでいた自分に気がつきました。
彼女のコメントの通り、確かに環境によって指示待ち人間になってしまうケースは少なからずあるとわたしも思います。
そこで、わたしは考えました。
どのようにして指示待ち人間をつくられていくのでしょうか?
どのようにして指示待ち人間ができるのか?
みなさんだったら、どのように考えますか?
わたしだったら、
なぜ(Why)から始めるのではなく、どのように(How)から始めること。
古賀さんの記事を参考にしつつも、ただ何も考えずに指示に従ってしまう構図を、わたしなりにざっくりと全体像を見える化してみました。

見える化していく過程でわかったことがあります。
それは、指示を受けてからの流れを考える上で、2つの大きな分岐点があること。
1つ目は、指示を受け取ったあとに、そもそも疑問に感じるのか?
2つ目は、疑問に感じたときにわたし自身がどんな姿勢・スタンスでいるのか?
まず、1つ目はそもそも疑問に思える材料がなければ、まずは従う感じになります。
これは初心者のときが該当するでしょう。
だんだん慣れていくと、自分でも判断材料が出てきて、指示に対して疑問が出てくるようになります。
そこで、2つ目の分岐点が自分自身の姿勢・スタンスです。
もう少し別の表現をすると、
普段物事を自分自身がどのような状況・状態で受け取っているのか?
たとえば、
自分自身を大事にしている人の場合は、言うことが正しいかどうかや、言ったことが受け入れられるかどうかが重要ではありません。
まずは、自分の気持ちを大事にすることにフォーカスしているので、そのとき伝わらなかったかどうかは問題ではありません。
だからこそ、自分で考えたことを相手に確認するというアクションをとる、という選択肢が生まれます。
一方で、自分の気持ちを大事にできない状態の場合。
正しいことを言わなければならない。
相手や周りが納得することを言わなければならない。
そういった第三者にどう思われるかを優先している場合、自分の想いや考えに自信が持てずにいる可能性が高いです。
だから、自分ではない何かを原因にして、
(どうせ言っても無駄だし……)
という思考が先行して、従うしか選択肢が思いつかなく、しかたなく従ってしまう。
その過程を何度も経験すると、しだいに従うのが当たり前になってしまい、自分で考えることを避けるようになっていき、見事指示待ち人間が完成してしまうのです。
きっかけは何であれ、ポイントは今自分の状況をわかっているのか?
見える化をしている最中に、わたし自身の過去の出来事を思い出しました。
社会人2年目。
派遣社員として勤めていた会社の上司から、なにかにつけて説教部屋に呼ばれていました。
「ちゃんと自分で考えたのか!?」
「何度言わせればわかるんだ?」
散々あれこれ追求されていくうちに、その上司のことが怖くなって言いたいことが言えずに、ただ謝ることしかできなくって。
自分で考えようと必死になって仕事をするものの、上司の存在が気になってそれどころではなく、空回りする日々。
そして、説教されたあとに、いつも言われていたのは、
「お前のために言ってあげているんだぞ」
という台詞。
正直わたしはその言葉に納得いっていませんでした。
なぜなら、話の内容的には上司がすべきを怠っていたことも原因だったから。
けれど、自分のために言ってくれていることなんだから仕方ない。
それだったら、ただ従っていただけの方がまだましだな……。
と、しだいに考えるように。
そんな中、妻との出来事がきっかけで違和感というのを大事にするようになって半月後、東日本大震災が起きました。
そのときわたしは秋葉原にある9階建てのビルの最上階にいて、地震が起きたあともずっと揺れていました。
さらに、地震でビルの壁が一部剥がれ落ちてきているような状況でした。
その後、秋葉原駅近くにある安全な本社ビルに移動するという話が出てきたところで、一目散に外に出て行こうとする上司を見かけ、慌てて声を掛けました。

じ、自分も避難すればいいですか?

避難するのは、正社員と派遣の女の子だけだぞ。
それ以外は、ここで待機だ。

えっ!?

指示は追ってするかな!

あっ!?
……。
と言って、誰よりも先に避難していったのです。
そのあまりの逃げっぷりにしばらく思考が停止した後気がついたのは、
「そもそも電話が繋がらないのに、どうやって指示をするつもりなんだろう?」
ということ。
結局3時間待っても、やっぱり指示はなし。
ビルは地震がなくても、ずっと揺れ続いている状況。
このままじゃあいけない気がして、
「だったらどうする?」
と自分自身に問いかけをして、最終的に指示が来る前に帰ることに決めました。
幸い別部署の社員(責任者)の方がいたので、もちろんその方に相談した上で。
後日、週明け出社したところ、他の派遣社員・契約社員の方は案の定最後まで指示がないまま、夜遅くまでビルで待機していたようでした。
さらに、そんな指示がなく、わたしたちを放置した上司ですが、特にわたしたちを気遣うことも、謝罪することもせず、今まで通りな感じで。
そのことを感じ取ったときに、
(ここにいても、「お前のため」詐欺にあうだけで、ただの怒られ損だ)
(自分のことは自分で考えて行動しなければ!)
という教訓を強く抱くように。
この出来事がきっかけで、まずは自分で考えることを心がけるようになりました。
エピソードが長くなってしまいましたが、、、
きっと自分で考えることができないと感じる方の中には、わたしと似たようなエピソードがある方はいるのではないでしょうか。
きっかけはともあれ、
一度自分で考えない習慣ができてしまう、指示待ち人間になってしまうと、何かを変えない限りはその状態からは抜け出せなくなってしまいがちです。
そこで、抜け出すための糸口になるのが、今の自分の想いや考えにフォーカスすることです。
フォーカスすることで、現状が分かってきます――自分では考えなられない状況の全体像が。
現状がわかれば、自分の意志で選択することができるようになります。
イメージでいうと、
以前放送していたライフカードのCM。
主演のオダギリジョーさんは、状況が変わるごとにオダギリジョーさんがとれる選択肢が変わっていきます。
逆に言うと、状況がわからなければ、
今自分自身にどんな選択肢があるのか?
を考えることができません。
選択肢がわかなければ、当然今どんな行動をすると良いか考えることもできなければ、行動に移すこともできない、というわけです。
つまり、現状把握ができなければ考える材料がないので、そもそも考えることもできません。
だからこそ、自分で考えることを大事にしたければ、まずは自分の現状と向き合うことが何よりも重要になるのです。
おわりに
どうやって指示待ち人間ができてしまうのか?
どうやったら自分で考えることができるようになるのか?
それぞれについて、自分で考える力を身に付ける大切さを感じた、わたし自身のエピソードを交えて書き綴ってみました。
自分で考える力は、今回の話のように何もビジネスやスポーツに限った話ではなく、プライベートにおいても不可欠な能力です。
なぜ不可欠な能力なのかについて語る上で、そのベースとなるのが違和感というキーワードです。
※違和感については、別記事でピックアップ予定です。
自分で考える力(自考力)に関する情報はブログでも配信しますが、ブログでは載せれないようなリアルタイムな情報についてはメルマガで配信していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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